2024年、師走のアマーワサーの瞑想
2024年12月30日朝の新月の瞑想
年末に開催された2024年最後の瞑想講座。
2日後に迎える”新年”についての話から始まりました。
新しい年を迎えることは、
誰もがわくわくし、楽しみに思う。
来年になったら、こうしようと目標を新たにしたりして
新しい自分になれるような気さえする。
でも、それはやはり、”外側の新しさ”であり、
わたしたちの内側は新しくなっているのか?と
冒頭で問いかけられました。
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元々全ての瞬間は新しい瞬間であり
それは新年であろうが、年末だろうが、新しいことに変わりはない。
だから、自分自身をいつも新しい自分として
瞬間、瞬間に迎え入れようとしていなければ
新年ですら、それは外側なのである、と。
新しい自分とは、古い自分を手放した時にやってくる。
古い自分を手放すとは、
「わたしはこんな人だ」と思っている自分を手放すことである、と。
例えば、それは、新しい車を手に入れるなら
古い車を手放すしか、その駐車スペースは得られないように。
新しい自分、新しいものが好きな割に
古いものを手放していないことが
わたしたちの問題なのだ、と。
だから、いま、新しい年を前にして
自分の何を手放すべきなのか、考えてみなさい、と
内側を新しくするヒントを下さいました。
そしてまた、とても興味深い概念を教えてくださいました。
「bodymind」
「body と mind」ではなく
「bodymind」
肉体とマインドは、そもそも切り離して考えられないのに、
私たちは
肉体の痛みには薬を取ろうとするけれど、
マインドの痛みは放置である。
肉体の痛みには、薬を飲むように
マインドの不調には、瞑想が効くのだ、と。
肉体の痛みがあるときに薬を飲むと落ち着くように
マインドに対して、瞑想をすることは、
マインドの不調にだけでなく、
間接的には肉体にも効くのだ。
肉体とマインドは切り離すことができないのだから。
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なので、2025年、まずは
瞑想を続けましょう。
どれくらい続けたら効能が得られるのだろう、とか
その結果を得ることばかりを求めすぎることなく
まずは続ける!
そのときも、
わたしには無理なんじゃないか
瞑想してもなにも変わらないんじゃないか
眠くなってしまうから無理なんじゃないか、と
内側に疑いを持ちながらではなく
ただまずは真摯に瞑想を続けましょう。
マスター・スダカーが
初めて会うベビーの警戒を解き、抱っこできたように
粛々とするべきことをするなら
赤ちゃんの方から近寄って来たように、
ほしいものは向こうからやってくるのだから。
2025年
瞑想をすると〇〇だから、と
その得られる結果を横目で見つつ行うのではなく
真摯に瞑想を続けたいと思う
瞑想講座となりました。
2025年も毎月、
新月と満月のタイミングで
師とともに座る時間が持てることが
光栄であり、楽しみです。
一緒に瞑想を始めましょう。
そして、続けましょう。