ヴィジョンオブヨガ2025継続学習teamチョージャマ
何度目のヴィジョンオブヨガになるだろうか
学びを始めた頃は、右も左もわからない緊張感や不安があったが、
学べる機会を得たことそのものが嬉しくて仕方なかった。
ある時くらいから、このチームで、マスター・スダカーから
「成長していない」という言葉を頂戴することが多くなり、
何かを変えなくてはいけないのだ、と、都度反省するけれども、
しばらくすると、また日常に戻ってしまう、ということを繰り返している。
後期が始まって3日目からその危機感は、
今までにないほど大きくなった。
自身の胸の内の苦しさや反省を、言葉や行動、表情に現してみるものの、それは反応に過ぎないことも明白だった。
この数日間、師が話されることの一言一言によく耳を傾け、
本当に何を私たちに伝えようとしているのか、
その意図を読み取ろうとした。
こんなに、注意深く聴こうとしたのは、
いつぶりだっただろうかと思うほどだった。
聞いているようで聞いていなかったのかもしれない。
わかっているようで、何もわかっていなかったのかもしれない。
マスター・スダカーはこう仰います。
現状が、今そこに出ている結果が、今までの自分なのだ、と。
健康状態も、家族の状態も、ヨガの指導も、ヨガの生徒さんの状態も、
経済的な状況も、それに通知表があるとしたら、それは今の自分であり、自分をとりまくその状況自体が、その結果である。
数日後、短いフローを、そこにいる100人全員で、
声を出すことなく合わせて練習する、という時間を頂いた。
全員が正しく合わせることが、その日のゴールとなった。
年齢、職業、ヨガ経験、身体状態も異なる100人が、
声をだすことなく、同じ動きを同じように合わせて行うとは…?
そんな課題を聞くだけで、
一瞬心がざわつくものの、やるしか、ない。
師は、ヒントを与えてくださった。
一人一人が正しいことをしなさい、と。
こうした方がいい、と正そうと声をあげたとしても
他者の言葉で、人は、自らの行動をすぐに変えたりは、しないのだ、と。
自分が正しいことを続けるならば
それをみて、ああ!と
それに続く人が出てくる
だから、他者をみたり
他者を指差したりすることをやめて
自分が正しいことをし続けなさい、と
誰かを導くことは
簡単なことではない
正しいことをやり続けるだけの強さを
身体的にも
内面的にも
感情面においても
もちなさい。
自分自身を躾ていきなさい、と。
指導者養成コースである
ヴィジョンオブヨガにおいて
最初の1回目に
まずは、自分が自分自身の正しい指導者になりなさい、と
教えられ
人生で初めて聞いたそのフレーズに震えた。
そしてここまで来て
他者を導くこととはいかなるものかということを
この時間に
教わったのだと感じた。
マスター・スダカー自身も
わたしたちを前にして
同じように忍耐をもって
自分自身を律し続けているのだと思うと
胸がいっぱいになった。
自分自身のヨガの指導を振り返った。
なぜ伝わらないのか。
指導が、うまくいかない、と足踏みをして
イライラしたり
ため息をついていた。
相手に悶々とするのではなく
もう一度振り返るべきは
自分は正しいことをしているのか?
自分は正しいことがわかっているのか?
自分は師の言葉に本当に耳を傾けているのか?
それをし続ける忍耐力を持ち合わせていただろうか?
あらゆる手段を試してみただろうか?
自分には出来ないと、思っていなかっただろうか?
厳しい10日間であったことは
間違いない。
マスター・スダカーがインドから日本にいらしてからずっと
伝え続けている本来のヨガを拡めることの
ジャマにならないように。
その助けとなる方の人になる。
痛みを風化させず
成長したいと思います。
