生徒の声・評判
VOICE
受講生から感想をいただきました
冨田理衣さん
硬くなに信じてしまっていた「治らない」病気が良くなっていった体験
子宮腺筋症を20代の頃から患い、医者からは子宮を取らない限り治らないと言われてそれを信じていた私。その間ヨガもずっと続けていたけれど、年々酷くなる生理痛やソフトボール大の硬い子宮に毎日毎日ずっと私の意識はその下腹部に集中し、苦しんでいました。
師であるマスター・スダカーから正しいヨガの練習を学び、硬かったソフトボール大の子宮は少しずつ小さくなり、柔らかいお腹に。それに伴い生理も軽くなり...驚くほどに変わっていった身体。頑なに信じてしまっていた「治らない」病気が良くなっていくことを体験した時、ヨガの力に鳥肌が立ちました。今はヨガを、師を、そして自分を心から信じています。
木戸早苗さん
ヨガでアトピーが改善するとは思って無かったのでびっくりです
大人になってから出始めたアトピー。皮膚科に行っても原因は判らず、ただ薬をもらうだけで少しは治ってはまた出てきて強い薬になっていくの繰り返しでした。そんな中、家族関係にも悩みがあり、指導者養成講座を受けることに。
自分と向き合い、アサナを深めるだけでなく、食事、排泄、睡眠に関する事などの生活の基礎を学び、実践する事で少しずつ改善してきました。ヨガでアトピーが改善するとは思って無かったのでびっくりです。特に朝チャレに参加するようになってからの変化が著しく、春先のリバウンドが小さく、楽に生活出来ているのが嬉しいです。
Hiromiさん
摂食障害や鬱に悩まされ、1-2ヶ月入院していた時期がありました。退院後も、ほぼ症状は改善されることなく、同じ状況になった時、同じ症状が出る...ということを繰り返していて、そんな自分に苦しんでいました。
マスター・スダカーに出逢い、ワークショップに何度か通い、変化が出始めていましたが、ヴィジョンオブヨガに参加後、急激な変化があり、それまでと同じ状況になっても、同じことを繰り返すことなく、違う見方で物事を捉えることができるようになりました。それから同じ症状は全く出なくなりました。
鈴木梓さん
今は毎日が楽しいです
私は、娘に重度の障害があり、夜中に医療的ケアをする生活が何年も続いていたため、睡眠に問題があり、疲れ果てているのに、寝ても緊張しているため1時間くらいで起きてしまい、続けて4時間寝られるのが年に数回。体調も崩しやすく、心も体もボロボロでした。
2018年にマスター・スダカーに出会い、ワークショップでフローを経験した直後から経験したことのない体調の良さを感じ、迷わず2019年のヴィジョンオブヨガを受講しました。ヨガを正しく学んで実践してからは、不眠、頭痛、肩凝り、首凝り、腰痛、花粉症、薬とはさよならしました。ヨガを通して本当の意味で自分を大切にすることを学びました。
今は毎日が楽しいです!
光江さん
“自分を知らない”ままでは、私の人生辛いまま短く終わっていた
マスター・スダカーに出会う前の私は、そう思わざるを得ない様な不調のデパートで、頭痛は日常茶飯事。時にのたうち回りたくなるような痛みが来るため、頭痛薬は買いだめしお守りのように持ち歩くことが「普通」のことだと思っていた。40歳になってからは喘息も発症し、ほぼ毎晩、寝ようとすると激しい咳き込みで息苦しくなっていたため、夜が来るのが嫌だった。発作が起こる度に「自分はどんな死に方をするんだろう」と思っていた。
マスター・スダカーに出会い、ヴィジョンオブヨガで学ばせていただいてから、それらの症状は徐々に消えていき、頭痛も喘息も自分が作り出していることを知った。友達との会話も以前の自分からは愚痴しか出ていなかったし、それが普通だと思っていた。今の自分からは快適や幸せがコンコンと溢れて来るのを感じる。幸せは楽しい、マスター・スダカーに出会えて良かったです。
椿山真央さん
肉体だけでなく、“心”も元気になったのです。
私がヨガを学びたいと、ワナカムヨガスクールの門をたたいた時は、“肉体的”に柔らかく なって、健康になればいいなとだけ漠然と考えていました。 そのような中、200時間の指導者養成コースであるヴィジョンオブヨガを受講した際、思 わぬヨガの効能を得ることができました。人生で起こる出来事のとらえ方が変わった結果 、肉体だけでなく、“心”も元気になったのです。
何が起きたかといいますと、1度目受講中、大好きで何年も毎日のように飲んでいたお酒 を止めました。それも必死で我慢して、我慢して、耐えて止めたのではなく、飲んでみよ うとしても、まずくて飲めなくなってしまったのです。 健康に悪影響を及ぼすことを誰もが認識しているアルコールを止められたのですから、願 ったり叶ったりですよね。
次に、2度目の200時間の学びを経て、11年以上3週間に1度のペースで変えていたネイルを 止めました。自然と私にはもう必要ないと思ったからです。 お酒、おいしくて、楽しいからいいじゃない。 ネイル、キレイにしているね、女性らしいね、身だしなみに気を使っているんだね。 なのになんで止めたの?別に何の問題もないじゃない?と思われるかもしれません。 ネイルを楽しむこと自体を否定する訳ではありません。私も今後TPOに合わせて"純粋にお しゃれして楽しみたいな"と思ったら、その時だけはやると思います。
問題は、なぜ身体に良くないとわかっていて、毎日のようにお酒を飲んでいたのか? なぜネイルを取っ替え引っ替え長年続けていたのか? 私の場合、お酒は自分ではない誰かを演じる生活を送ることの歪みを解放する手段に使っ ていたなと改めて振り返って思います。お酒を飲むことで、その時だけ本来の自分に戻る 手段に使っていたのです。 ネイルを始めた動機は、社会人になりたての頃、世の中の理不尽さと厳しさを受け入れる ことができなくて、心身ともにボロボロの状態でした。そんな時、ネイルを変えるたび、 その時だけは新しい自分になれたような気がして、3週間に一回、ネイルサロンに通って いました。 今思えばそんなことで、自分が変わることができるわけがないのはわかりますし、一時の ごまかしでしかなかったのですが、 その時はそうやって自分をごまかし生きていくしかな いと考えていました。 そんな心の歪みを解消する手段を、ワナカムヨガスクールで学ぶことで手放すことができ ました。
ワナカムヨガスクールでは、肉体的な学びはもちろん、自分自身の心との向き合い方、人 生を快適にそしてしなやかに力強く生き抜く方法を学ぶことができます。
三谷泰子さん
「ぼくがすごいのではない。ヨガがすごいのだ。」
参加者が長年の痛みから解放され満面の笑みで、時に涙ながらに御礼をいう時に、ご自身はこれっぽっちも受け取らない。全てはヨガの恩恵なのだと笑顔で言い切る。そんな先生を私は他に知らない。
マスター・スダカーがご自身のことについて語ることは殆ど見たことがない。ただ研修などで長期ご一緒させて頂く際に、プライベートなどの瞬間を切り取っても、たとえ誰も見ていなくても、マスター・スダカーは変わらない。揺らぎない「愛情」と「敬意」と「give」し続ける姿に、私はこういう生き方そのものを師から学ばせて頂いているのだと
また気づく。
師がクラスで話してくださるインドの小話が好きだ。登場人物は先人や神様、動物、人間など様々。絵本を読んでいるような子供でも分かりやすいお話に夢中になって聞いていると、オチで胸がチクリと、はっと自分の立ち位置に気づかされる。自分がその主人公だと気づくからだ。そうして「気づいたならば、ここから変わりなさい」と静かに仰る。先人達の智慧であるヨガの哲学を噛み砕いて、離乳食のように参加者に与えてくださる。そこにあるのは健やかな子供の成長を願う母親のような愛情に他ならない。師が国境や宗教を超えて、最高の機会をと多方面に想像できないほどのご尽力をされていることを痛いほど知ったのは、それは南インドのリトリートだった。伝統ある寺院に立ち入ることができたのも、ご飯を美味しそうに頬張っている時も、マザーテレサの家で子供達にご飯を食べさせる機会を頂いている時、孤児院の子供達と戯れている時、いつでもそんなとびきりの機会を与えながらとても笑顔で幸せそうだった。ずっと私たちを食事面やあらゆる生活面で支えてくださった師のご家族やご友人達の純粋な愛情も、全てが愛ある「give」だった。また、ワナカム収益のほとんどを数々の寺院の修復、支援、孤児院、障害者孤児院などに継続的に寄付されていることも、恥ずかしながらその時初めて知ったのだ。誰かの賞賛を浴びる為ではない、マスター・スダカーの大きな強靭な右手は常に揺るぎない神々や先人達への敬意と愛ある「give」に基づいている。
「君たちが与えることができるまでぼくは与える姿をみせるのだ。」と、そして穏やかな口調で続けて「与えるということは蜜の味であるのだ。」と笑顔で仰る。マスター・スダカーの魅力は、そんな「愛情」「敬意」「give」をちょっとずつ私達にもその両手を使ってできるはずだと、気づかせてくれること。そうして、どんな状況や環境、年齢であっても私達自身がちょっとずつ成長することで、自身の真の健やかさ、社会の健やかさを取り戻すことを始められること。依存ではない、自立をさせてくれる師なのだ。
大塚かおりさん
温かさ、包容力、愛、が体から溢れている
マスター・スダカーのヨガクラスに参加するまで、ヨガは体の柔らかい人がリラックスのために行うストレッチだと思っていました。ましてや、ヨガの練習で長年悩まされてきた肩こりや腰痛、睡眠不足やアトピーなど、万病が改善されるなどとは思いもしませんでした。
何度も参加させていただいているワークショップでは、マスター・スダカーはいつも挙手で体に不調がある方を募り、ほんの基礎的なヨガの練習を与えます。すると数分後には、上がらなかった腕が上がったり、腰痛が消えていたりと、劇的な変化を目の当たりにするのです。そしてこれはマスター・スダカーのお力なのではなく、ヨガの力なのだとおっしゃいます
。『これがヨガなのか!私が知っているものとは全く違う!』と、初めて参加した時の私は大きな衝撃を受けました。
マスター・スダカーの下でヨガをすることで、自分自身の体と、丁寧に対話する術を学んでいると思っています。得意なところだけを使っていたり、やりやすいように動かしていたりする結果が不調となって表れていることを知りました。自分の体と向き合い、背骨や股関節など働かせるべき場所を働かせるための練習を続けていると、自分の体を軽やかに自在に操っている感覚を体験できるときがあります。そしてそれは体だけではなく心も同じ、無駄な力みや、痛みを感じるものではない、正しいヨガの練習をマスター・スダカーは教えてくださいます。
マスター・スダカーのことを端的に一言でお話するのは、何とも表現しにくいですが、温かさ、包容力、愛、が体から溢れているのを感じます。養成コース中は私たち生徒を全体ではなく、常に一対一で見てくださり、まっすぐに指導してくださいます。耳が痛いお言葉をいただくこともありますが、私たちが成長しようと励むそばで必ず愛をもって根気
強く見守って下さり、それは養成コースを終えても変わることはありません。
正直、この歳になって、自分がこんなにも変化するとは思っていませんでした。体の快適さは言うまでもありませんが、軽やかな思考は、マスター・スダカーが教えて下さるヨガと出会えたから得られた財産です。この先もマスター・スダカーの下、真摯にヨガを学び、成長し続けます。
鈴木みどりさん
これほどまでに嘘をつかない人を知らない。
それが私のマスター・スダカーの印象です。
大人になって社会とともにあるということは、ある程度の嘘や欺瞞や都合のいい解釈というものを受け入れていくことだと思っていました。しかし、それは社会で生き抜くために必要な知恵などではなく、弱い自分に目をつぶるための
ものだったのだと気付かされました。そしてその弱い自分というものは間違いなく自分にこびりついているものだけれど、自分という本質ではないことを知りました。
そうは言っても、誰もがそう生きられるわけじゃない、そう自分を正当化したくなる時に、いつもマスター・スダカーの姿が目に浮かびます。ヨガとはアサナだけでなく、肉体をより健康に、知性や社会性をより豊かにしていくものですが、マスター・スダカーはそのすべての側面において妥協することなく実践し続けています。一度やる、と決めたらどんな困難がやってきてもやり抜きます。今日はちょっと体調がすぐれなかったから、今日は予期せぬことが重なって忙しかったから、そんなあたかも真っ当な理由を言い訳にすることをしません。まず、そんな事態にならないように先を見据えてあらゆる側面において準備をしていますし、たとえそうなったとしてもそれを言い訳にせず、すべきことは最善の形で必ずするという姿勢を貫いています。
マスター・スダカーは嘘をつきません。他の誰をも騙せても、自分自身を偽ることはできないから、そう言って。しかし、これはマスター・スダカーだけに与えられた特殊な能力などではなく、人間誰しもが与えられているものです。そこにある種を、土を耕して撒くということ。水を与え肥料を与え、芽が出るのを根気強く待つということ。そしてその見た目や成長スピードを周りと比べることなく育て続けること。そうすれば、本来種が内包している大きな力が発揮され、その実を他者にももたらすことができること。そんな自然本来の姿を、嘘偽りなく生きている人がマスター・スダカーという人です。
(ヴィジョンオブヴィアガラーサナ徹底解剖TTC)
マスター・スダカーの例え話はいつも言い得て妙だと思う。
生徒達がどんな状態なのかは、身体を見るまでもなく、顔を見れば多分分かるのだろう。久しぶりに学びに来れた嬉しさ半分、不安と居心地の悪さ半分。なぜネガティヴな感情があるのかは、初日の冒頭の例え話で納得してしまった。
「タバコを吸う人は、タバコがどんなに身体に悪いかを、吸わない人よりも詳しく知っている。知っているのだから、吸わない人がいくら身体に悪いか説いても聞かないでしょう。だから、正しさを知っている皆さんに、いくら正しくありなさいと言っても、何も変わらないでしょう。」
「正しさを知っている」と「正しさを実践している」の間には雲泥の差がある。私達はそんな事は知っていると、だけど出来ないんだと、そうやって日々を過ごし、罪悪感を身につけたり、諦めたり、開き直ったりしてしまうのだ。
マスター・スダカーは事あるごとに「手離しなさい」という。客観的に見れる人の事なら「あれを手離せば、ラクになるのに」と思ったりする。ところが自分の事となると、何に苦しんでいるのか、何を握りしめているのか、実はよく分からないのだ。タバコを咥えながら「コレさえやめられたらねぇ」と言う人がいたが、正にそんな感じ。むしろ咥えている自覚がある分、タバコの方がマシかもしれない。
さて、ではどうするのか?
3日間で身体の練習をしたのは、意外なほど少ない。でもこの少ない時間で、私の身体は本当に軽くなった。自分が選んだ、自分の好きな生活を送る内に、何か不要なモノを掴み、身につけ、重りにしていたのだろう。
それは正しくない生活習慣だったり、人の目を気にしていたり。
そんな重い自分を選ぶのか、それとも軽くて快適な自分を選ぶのか、自分で選択をするしかないのだ。
ヴィアガラーサナ(虎)のコースを始めた時から、虎の特質を考えてきた。どう猛で、人の手に負えない肉食獣。手に負えないのは、私自身のマインドも同じ。ヴィアガラーサナは、「どうにもならない自分」を乗りこなす為の練習なんだと、改めて思った。客観性を身につけ、自分が手にしているタバコの火を消し、もう二度とそれを手にしなくても済むように。
松本千里さん
(シニアヨガTTCパート1@福岡)
私達の想像するものとは異なるものでした。
一般的に世の中で認識されるシニアヨガとは、シニアの方でもアサナのようなポーズがとれるように、プロップなどで補助したり椅子に座って行うことだと思われています。しかしながらマスター・スダカーによるシニアヨガは、私達の想像するものとは異なるものでした。
どのような世代の人でもヨガにより受け取ることの出来る恩恵を受けられるのだと教えていただきました。シニアの方は確かに身体的に出来ない動きがあったりして、それに対処するワークなどもあります。
しかしながら私が驚いたことは、ヨガのワークを行う前段階として、リラックスしたりこわばりを解くダンスや歌でした。私はまだシニアと呼ばれる年齢ではないので、シニアの方々の持つ悩みや感情について特別考えることはありませんでした。理解せずこちらのこうしてほしいということだけやってもらっても、結局シニアの方々には届かないと思います。身体的だけではなくその他に精神的や知的な面にも働きかけるものがヨガで、シニアヨガでも然りです。
シニアヨガはシニア世代だけでなく、全世代を対象としています。まだパート1では序章にすぎず情報はいくつもの点だけですが、この後パート2、3と続いていきそれば立体になるとのことで、それを体験するのが楽しみでなりません。
大脇可奈さん
(ヴィジョンオブインディア2018ディヴァリ編)
来てよかった また来たいの連呼でした。
ヴィジョンオブインディア2018ディバリ編を終えて。
今回3度目のヴィジョンオブインディアに行ってきました。
1度目は衝撃が多く 全てが珍しく 物珍しい との旅行者の視点からのあっという間の時間でした。
2度目は ほんの少し余裕がでた渡航の中 満を持して ヴィジョンオブインディア中に体調を崩すというハプニングがあり そのハプニングのお陰で インドの日常をより体感できました。
今回3度目のヴィジョンオブインディア。現在帰国直後ですが、 ただ一言で言い表すならば…言葉にならない想い…が強く残ったインド渡航でした。マスター・スダカーが最後に伝えてくれた、ただの旅行に終わらすことなく今日この時から考えはじめてください、との言葉を少しずつ噛み砕いていこうと思います。
このインド体験は一般のインド旅行では決して体験できないことばかりでした。
マスター・スダカーのご案内があって初めて行けるところ、入れるところ、体験できるところ ばかりに行くことが出来、外国人初の快挙が続出するという人生において 幸運としかいいようのない出来事ばかりが突然起きました。
そして、ただの海外旅行者だと 気づけないこと 知らずに終わってしまうことそんな大事なことばかりをマスター・スダカーとそのご親友であり 今回アテンドしてくださった方々やマスター・スダカーのご家族から教わりました。体験を言葉にするのは とてもいたたまれるほど、ただ、素晴らしい体験であり人生を考え直すきっかけともなるインド訪問でした。
人間の本質を、知る
インドの日常の中で 現地の方々の生き様から
何を大切にするべきか
現代の日本人である私達が失ったもの
本当にあるべきものとは
としかと考えはじめる きっかけとなる期間を過ごすことができました。
一緒に行った仲間も誰一人来なきゃよかったは全くなく、ただ 来てよかった また来たいの連呼でした。来年もしくは再来年 このヴィジョンオブインディアが開催される際には真っ先に申し込もうと思っています。そして、この体験を出来るだけ多くの方ができることを心から願っています。未だ体験したことのない方々が一人でも多く この人生において なによりも必要な学びの機会を 自ら掴みとれますように。この機会を与えてくださったマスター・スダカー、まどかさん、ワナカムヨガスクールの皆様に心から感謝しております。
稲生奈美子さん
(ヴィジョンオブインディア2018ディヴァリ編)
「素晴らしかった」の一言ではとても言い表せない。
マスター・スダカーの故郷、南インドカンチプラムへの旅。「インドは自分自身を開放できる国。君たちがこのインドリトリートで今までの古い自分を手放し、新しい自分と出会えるように。」と初日にマスター・スダカーは言われた。
私たちは何をすべきなのか、何をすべきでないのか。インドへ来る前、ヨガを通してできることは何なのか、目の前の彼らのためにできることは何なのか、偽善ではないか、自己満足に陥ってはいないか、自分は一体どう在るべきなのか、と日々自問を繰り返していた。このヨガ発祥の国インドにて少しでもその答えが見つかりますように、そしていまだ私は何を握りしめているのかを知ることが出来ますように、と願いながらの参加だった。
リトリート初日から不可能を可能にしたマスター・スダカー。ヒンドゥー教徒しか入れない寺院での私たち日本人による参拝を、数カ月も前から交渉し断られながらも、とうとう承諾していただいたと教えてくださった。このリトリートの間中も、外国人立ち入り禁止区域の本堂の奥深くへ私たちが入れるようにと何度もあきらめずに交渉して下さり、異例に入らせていただいた。
「あらゆる宗教は一つである。」というマスター・スダカーの理念のもと「どうか彼らの中に種を蒔く機会を。そしてその種は必ず芽を出すと僕は信じている。」と寺院の最高位の方々を説得してくださった。その背中から「信じる、あきらめない、誰の為でもなく信じる自分の為にする」という教えを自ら実践してくださっていたことを学んだ。
マスター・スダカーのお父様、ご家族、親しいご友人全ての方々が喜びをもって与えてくださる。どのようにしたら私たちが喜ぶのだろうと自分の時間も惜しみ、与えることを心から楽しんでおられるようだった。マスター・スダカーは私たちが困っていないかどうか隅々まで目を行き届かせ、疲れてくる頃を見計らっては、ココナッツジュース、チャイ、フルーツなどを何度も差し入れてくださった。
マスター・スダカーの師であるタミル語の先生に講義をしていただくというとても貴重な最高の機会も与えてくださった。講義をしてくださったどの先生からも、訪れた素晴らしいどの寺院からも、マスター・スダカーと同じメッセージを、同じ溢れる愛を私たちは全身で受けとっていた。
マスター・スダカーの溢れる愛の源をここに見出し、「愛を全身に受けて育った生徒は自らも愛を捧げる師へと成長する」のだと学んだ。
素晴らしかった、だけでは終わらせたくない。
日本に帰国し、インドで与えていただいたものを自分だけのものとするのではなく、全ての人と分かち合いたい。訪問させていただいたマスター・スダカーが支援するマザーテレサ孤児院のシスターの愛溢れる在り方のように、受け取った愛をこの日本で溢れさせたい。ヨガを学んで初めてそう強く願った。
そして、自問していた答えが一つ見つかった。
自分が奥深くに握りしめていたものは「愛されるのを待つ」ことだった。ヨガを通して私たちにできることはたった一つ。「愛する」だけなのだ。これからはどんな状況においてもいかなる状況においても、愛されようとするのではなく「愛する」と心から決意する。シバ神を愛し続けたあのパールバティのように、、、。
土井千尋さん
(シニアヨガTTCパート2)
ヨガを学ぶ前に自分のことを全く知らなかった。
シニアヨガの学びはヨガの基本へと戻る。
何度も何度もヨガは学び続けるものと教えてもらったのだけれど、一回受けたものはそれで終わりではない。それを理解し実行しなければいけない。誰かに教えるではなく自分がする。
今回シニアヨガ2は3回目の受講となる。けれども、3回とも全く違う。同じことを何度も何度も繰り返す様に見えて毎回違うのだ。教科書は同じ。けれども学んでいる自分が違う。学びの姿勢だったり、理解力だったり。
聞きたいところだけを聞いていた1回目。
全部を理解しようとしていた2回目。
もう一度正しく学びたいと思った3回目 …その心持ちで再受講したのだけれど、シニアヨガの理解は深まっているものの、ヨガを学ぶ自分の姿勢がないことに気付かされた。
ヨガを学ぶ前に自分のことを全く知らなかった。自分が何者であるか、自分のルーツも知らずに、ヨガのルーツを学ぼうとしていた。また情報を集めようとしているだけ。いっぱい知っている方が先生らしい。ヨガを知っている人になれたような気がしていた。ヨガを学んだからと言ってヨガのことを知ったとは言えず、また知識を詰め込んで終わりになるところだった。
マスター・スダカーはそれに気づいて、自分のことを知ることから教えて下さいました。ヨガを学ぶにおいて、自分が間違った道へ行かない様に光を与えてくれる師という存在がとても大事だと感じ、まだまだ足りないこと知らないこと沢山あるけれど、また一歩ずつ自分と向き合い学んでいきたいと思ったシニアヨガⅡの3回目受講でした。
(ヴィジョンオブヨガ京都2018を修了して)
This is one of the best lessons that I have ever had!
First it is my honor meeting everyone of Vision of Yoga 2018 Kyoto. Big thanks to Master and Madoka san for the valuable lessons, Yurina sensei for recommending and guiding me here, and Vanakkam yoga school members that I have never met but organize and make Vision of Yoga 2018 Kyoto happen. This is one of the best lessons that I have ever had!
After the 20 days’ lessons I want to learn more yoga from Master and Madoka san. Because I believe if I can do yoga well I can live happily and find true purpose of life.
Key takeaways:
1 Smile every day every moment for others to smile.
2 God is inside me, I am complete and have no problem.
3 Stop looking back or worrying about future, focus on present and growth.
4 Push myself outside of comfortable zone and grow to the best of my ability.
5 Change from stone to feather and go with wind.
6 Stop forcing myself to do things to make others happy, do what I should do and love what I should do.
7 When I see me I cannot see you, when I see you I cannot see me.
8 Do yoga every day to take good care of my body in order to take good care of the god inside me.
I want to learn and understand more in Vision of Yoga 2019 Kyoto.
Thanks and Best Regards.
ご感想大募集中!
ワークショップに参加したご感想を随時募集しております。
ご協力いただけると嬉しいです。