『ハタヨガ基礎講座@HOME』座・哲学講座
マハーバーラタ2025 アビマンニョー編
腕を使わないフローを体験した
この日のタイトルであるアビマンニョーが、
『マハーバーラタ』の戦いの中で
腕を失っても戦い続けたのを
擬似体験しているかのようだった。

後屈をするにも
前屈をするにも
腕が使えないと
頭や顔、上半身がその重さで
一気に落ちていく
自分で自分を支えなければ
顔面から落ちて負傷してしまう
そんな危機感と緊張感が走る
腕がない状態で戦うとは
こういうことか…
この状態で
敵が迫ってくるとしたら…
想像するだけでも、震える…
ただ立ちすくむことしか
出来ないかもしれない
自分で自分を支えるのがやっとなのに
この状態で、どうやって敵と戦うことが
出来るというのか
どうしたら、この状態でも
降参することなく
プライドを持って戦うことが出来るのというのか
そんななかでも
自分への誇りを忘れずに
恐怖心を持たずに
戦った若き戦士がいたのだ、と
それが齢16歳のアビマンニョーだった
恐れる事はない
わたしは、雷神を父にもつ
かのアルジュナの息子である
そして、わたしの後ろには
数々の名将もついていると
1ミリの疑いも持たなかった、と
マスター・スダカーは
『マハーバーラタ』アビマンニョー編を
時に涙を浮かべながら、語って下さった

若き戦士の
その純真さと勇敢さに
心を打たれた
“若さ”とは時に強い
なぜなら純真だからだ
そう思う
大人になるにつれ
経験は増えるけれども
多少なりとも汚れていく
憎しみ、嫌悪、比較
そんなことを人間はできるのか?と
思うようなことにも遭遇する
そんな発想、なんて意地悪な
ということにも出会う
子供の真っすぐさに
胸を打たれることは実生活でも度々ある
大人になってもなお
子供のような純真さを持つことは
可能なのだろうか?
という疑問が浮かぶ
汚れながらも
そこに引っ張られずに
自分を保つことは
汚れしらずで汚れていないよりも
さらに困難なことでは、ないだろうか
疑いが生まれやすいからだ
チャクラ戦略のごとく
突っ込んでいく勇敢さを
ときに無知、無垢である故に
持つ事はできても
撤退することは
突っ込んでいくよりも
はるかに難しい事だ
何事においても
勢いにまかせ前進することは
出来たとしても
勇気をもって撤退することは
はるかに難易度が高い
でもそれこそが成熟した大人だから
可能な事なのかもしれない
プランではなく戦略…
ときにまだプランすら甘い自覚があるが
一歩でも勝利に近づくために
このアビマンニョーから学んだことを胸に
前進したい