9月29日中秋の名月の瞑想

 

まだ暑さが残っていた9月末の

中秋の名月と満月が重なる日

綺麗な月の見える夜だった。

 

クラスの冒頭、しばらくカメラがオンにならないという

ハプニングが続いた。

しばらく経ってカメラがオンになると

いつもと変わらない笑顔の

落ち着いた様子のマスター・スダカーが画面に現れた。

 

そんな始まりのちょっとしたハプニングを元に

今日のテーマは「PAIN ”痛み“」となった。

痛みとは

Negativeな状況における(IN)PositiveなApproach のことと

マスター・スダカーは定義なさった。

これらの頭文字を繋げると『P A I N』となる。

 

痛みとは、現状への警告としてやってくるもので

苦しみに陥るためのものではない。

 

その状況において苦しみに留まるなら

前進できなくなるけれども 

その痛みを教訓として現在を修正し、

より良い未来を作るためのものとするなら

自分を成長させるものになる。 

クラスの冒頭のアクシデントに痛みを感じたとしても

マスター・スダカーは動揺することもなければ

それが起きてしっまった状況や誰かに対して

怒りを露わにすることももなく

起きてしまったことに落ち込むでもなかった。

 

 

その日起きたことに

自分自身の責任を持って

最大限の対応をすることを

瞬時に選んだのだ、とおっしゃった。

 

咄嗟の場面で起こることに

瞬時の対応を求められるとき

自分の本性が現れる。

 

よく考えて答えを出すことができるなら

落ち着いた対応ができるかもしれない。

 

でも、感情的になるような場面で

どの自分を選択するか、人はここで間違えることが多い。

 

 

図らずも起きたハプニングを通して

痛みの乗り越え方を

目の前で

見せて頂くことになった。

 

 

留まり続けるな。

流れていきなさい、とマスター・スダカーはおっしゃっている。

起きたことに感情的になり

ハマってしまうなら、次の新しい瞬間を失い続けることになる。

痛みがあるときに

それを好機へと転換できるか

さらなる痛みの連鎖へと繋げるかは

自分の手の上にある。

 

人の前に出ている時だけではなく

どんな場面でも

どんな状況でも

気づきを持って

その瞬間を逃さない。

マスター・スダカーの華麗なる対応から学ぶ瞑想の時間となった。




 

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