先進国のヨガとインドのヨガ
以前、僕が教鞭を取っている香港や日本を含む先進国のヨガとインドのヨガがどう異なるかを問われたことがあります。
何人かの人は、先進国ではヨガはエクササイズの一環として捉えられていて、ヨガの精神的側面は無視されがちだと言います。これに関して、僕なりの考察を以下述べさせてください。
インドにおいて、人々は精神的成長、そして宗教的側面を重視します。
僕の家族にとって、宗教的儀式やお祈り、寺院への参拝というのは日常生活から切り離せない一部となっています。
神を讃え、神を語らずに一日を過ごすことなどありえないのです。ですから彼らにとってヨガの練習とはすなわち、ヨガ哲学の勉強であり、瞑想であり、決してアサナに終始するものではないのです。
ヨガを肉体的なエクササイズとして捉えることは、それ自体間違っていませんが、アサナと肉体に限定したヨガの連取はヨガの大いなる効能を享受する機会を逃しているにほかなりません。
それはまるで、楽譜に書かれている音符のみを追ってピアノを弾いているようなもので、音は発せられても、音楽性を楽しむことは決して無いのと同じです。
日本の大都市において、僕たちは皆、常に多忙を極め、たくさんの責任や仕事を抱えています。
食事を摂りながら新聞を読み、携帯メッセージを打ちながら交差点を渡る、一つのことに集中するのは大変困難でましてや、ただ座っているだけ、何も考えない、瞑想する、ということがどんなに難しいことか。
単に時間をつくるだけということではありません。
週に数時間ヨガクラスに行くということ自体は可能なのです。
空間をみつけることが困難なのです。
物理的な空間ではなく、自分の心になる精神的な空間です。
そこは、自分自身を見つめ、内省し、自分のうちなる声に耳を傾ける、そんな自分の内なる空間です。
もし、ヨガの真の効能、精神的効能を得たいと願うならば、人はまず自分の心の中にヨガの概念を学ぶ空間を探し、そしてその心の空間を悟りの思想で満たすことが肝心です。
このことは、私がヨガクラスでふれていく幅広い小話やテーマと繋がっています。
よく僕はヨガクラスで、硬い身体は幸運な身体だと言います。
硬い身体の人は単純なストレッチでも即座にヨガの肉体的効能が得られるからです。
ヨガにおいて悟りを開くには、“硬い”マインドから始めればいいのです。
日々そんな自分のマインドをほんの少しストレッチすることによって、莫大な効能が得られるのです、何事にも遅すぎるということは決してなく、全ての小さな一歩に意味があると僕は思います。
byマスター・スダカー
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