瞑想に誘う太陽礼拝
「ヨガとは体験そのものである」
私は、この言葉が好きだ。
それは、この言葉を実感できた、と感じられる時とは
自分の中の体験が一つひろがった瞬間だから。
10月31日の東京会場とオンライン同時開催で行われた
ハタヨガ基礎講座ふたクラス目の「瞑想に誘う太陽礼拝」
このクラスがまさに、
そんな体験そのものだった。
「瞑想に誘う太陽礼拝」に入っていく前に
いくつかのヒントを授けて下さった。
“Acceptance”
起きていることを受け入れること
どんなことが起きていても
それを受け入れるのか
受け入れないのか
それによって
その先が変わる。
受け入れるのであれば
起きていることが
良いことか
悪いことか、に関係なく
至福の波が自分の中にある滞りそのものを
流していってくれるのだ、と。
わかってもHappy
わからなくてもHappy
フローができてもHappy
できなくてもHappy
病気になってもHappy
家族が事故に遭ってもHappy
仕事をクビになったってHappy
失恋してもHappy
そんなふうによくマスター・スダカーは
笑っていうけど
気が触れているわけでも
強がっているわけでもない
ただいつも起こることを
笑顔で受け入れないさい、と言う
自分の感情的な思考に気づきを持つことが
”acceptance”を増やしていく、のだと
そして、太陽礼拝の前に
叶えたいビジョンをノートに一つ書く。
閉じた目の中でそれを
ビジュアライズしながら
太陽礼拝を行うように、と
「目を絶対に開けないこと」
「笑顔を忘れないこと」
そんなふうにしっかりと足元を固めた上で
太陽礼拝は始まった。
ビジョンを叶えていく道のりを
今進んでいるのだと感じた。
叶えたいビジョンがあっても
願うだけでは叶わない。
叶えたいと思う時
必ず困難が立ちはだかる。
フローで
プルプルしてくることも
人生における困難。
だから簡単に負けてはいけない。
足を早く降ろしたいと
表情をしかめ
嫌だと思うのなら
足はどんどん重たくなる。
ならば、切り替えて笑顔を
取り戻そうと観念する。
大丈夫
足を降ろす時はすぐにやってくる。
そんなふうに思考を転換すると、
ぎゅっと閉じていた目が緩み
表情が和らいでいく。
呼吸を忘れていたと気づく。
すると落ち着きが再びやってくる。
もう少しで問題に足をすくわれてしまうところだった
自分よりも問題を大きくして
ボートを沈没させるところだった。
だがその後すぐに
インストラクションが理解できない
と、思った瞬間、目を開けたくなった。
急に平穏は打ち消され
外側が気になり出す。
ちょうど立っている姿勢から
座っていくような場面だった。
バランスが取れなくて
心地悪くて
膝の位置がどうしても気になって
ここで目を開けてしまった。
一瞬の忍耐を持てずに
感情に押し流された。
ふっと開いた目の中で見えたのは
斜め前にいた人の姿で
自分も同じような格好をしていた。
目を閉じていたその中は
真っ暗な暗闇ではなかった。
むしろ目を開けた時の方が
必要以上の強い光で
見たかったものは見えたけど、
それは全く気持ちの良いものではなかった。
目を開けなければよかった。
見たかったそのポーズは一瞬で通り過ぎていった。
一体何のために目を開けたかったのだろうか。
マスター・スダカーの注意を
守らなかったことを後悔した。
ここからは何があっても大丈夫だから
もう目は開けないようにしようと
自分に約束をした。
そこから先は
お腹も太ももも腕も、
プルプルがやってきても
さっき目を開けた時の
自分への失望に比べたら
耐えられるし
耐えようと思った。
受け入れたなら
それは前向きなものと繋がっていくのだ、と
先ほど言っていた。
できなくても
きつくても
それを受け入れたらいい。
そして呼吸をして、笑顔で
その瞬間をやり過ごしていこう、
流れていこう。
そうすれば怖くない。
いつだって何かを叶えたいとき
予期せぬことがやってくる。
良いことも、悪いこともやってくる。
太陽礼拝のポーズが次から次へと進んでいくが
そのポーズにも
自分にとって苦手なキープもあれば
辛くないキープもあった。
今、私は、人生を
マットの上で疑似体験しているのだ。
心の中で何を思うのか
苦しいと思うのか
大丈夫と思うのか。
閉じた目の中で
選択肢にファイナルアンサーを決めていくのは
私なのだ。
叶えたいヴィジョンが叶うなら
これくらいの苦しさは
喜んで受け入れようと思っていた
だから
フローが進むにつれて
きついと思う気持ちは減っていき
フローは無事に終わった。
忍耐を持つことができるなら
人生の勝者になれるのだ、と
マスター・スダカーは
スートラを伝えながら説明してくれた。
一瞬一瞬、気づきを持って
人生のその1秒を
忍耐と共に乗り越えていくなら
人生は変わるのだ、と。
まさにそれが閉じた目の中で起きていた。
フローをして体は動かし続けていたが
毎瞬間闘っていたのは、
その気づきに対して、だった。
それがはっきりとわかるほど
鮮明な45分間だった。
きっと実生活でも
同じようにできる。
同じようにしよう。
そう思った。
「体験をした」45分間のフローだった。
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