宿題をする
「宿題をするということは
自分との約束を守ること
自分との約束を守る、とは
自分に対する敬意だ
自分のために行いなさい」
怒るというよりも
少し悲しそうに
マスター・スダカーから言われたことがある
Vision of Yoga 東京、鋤チームの
後期に集まった時のことだっただろうか。
また、同じようなミスを犯した。
例えば、
宿題の難易度が高いと思った瞬間
私の頭はフリーズしてしまう
そこから先に進まなくなってしまうのだ
ちょっと頑張ってみたけど
忙しかったから、全部やらなくてもいいんじゃないか
とか
他の人もきっと無理だから
私だけじゃない
とか
ダリドラブッティが発動する。
実際のところは
理解が足りていないし
工夫が足りてない。
マスター・スダカーの出して下さる宿題は
自分を引き上げるためのヒントを
与えて下さっているに過ぎない。
宿題をやった効果を得るのは
自分自身に他ならないはずなのに。
少しやってみて
時間的に難しいと思ったのなら
タイムマネジメントスキルを
向上させるチャンスだったはずなのに。
どうしたら、それが実現可能なのか?
自分の状況やスキルに応じて
考えてみるしかない。
まずはやってみよう、
そうだ、計画を立ててみよう、
そんな発想を瞬時にかき消して
簡単にできることしかやろうとしなかった。
簡単にできないから
やらなくていいとか
それを蔑ろにする結論に一気に飛ぶのは
なんともお粗末な発想である。
学校は間違えることを許されている場所。
(もちろん、同じ間違いであってはならないけれども。)
生徒であるうちは
間違えたっていい。
できない自分は恥ずかしい
こんな難しい宿題、私にはできない、と思って
終わりにするのではなく
今やらなくていつやる、というのだ。
学校の宿題なら、赤点や落第出済んでいたものも
学校の宿題ではなくなった瞬間
それは落第だったり赤点では済まされず
あってはいけない致命的なミスになる。
学校では
自分の今の立ち位置を知って
そしてまだそこに
立て直す猶予を与えてもらっている。
しかし、現実では
もう取り返しのつかないことになる。
誰かを
何かを
失うことにすらなる。
そんな取り返しのつかないことをしでかす前に
私は難題にグルブッティを
使って立ち向かわなくちゃいけなかった。
難しいと思った宿題がやってきた時の
対応の方法は
日常生活の難題がやってきた時も
応用できるだろう。
感情に引っ張られて
ただ時間を無駄にすることなく
解決策に向かって
より良い行動を選んでいくのみ。
そして、宿題には
必ず期限がある。
それも実生活と一緒だ。
タイミング、時を逃すなら
やってきた努力も一瞬で水の泡になる。
でも、タイミングを掴むなら
ぐんっとその効果は跳ね上がる。
痛く苦い経験を忘れずに
そして
師が本当にして欲しいと思ったことは
何なのか
本当にするべきことは
どこにあるのか
そして
考えたなら
これだ!と思ったのなら
多少の困難であきらめることなく
アクションを起こす。
そして、ある程度の区切りで
結果を見つつ
行動を振り返る。
そんなことを絶え間なく繰り返し
諦めずに
向かう先を持って行うなら
うまくいかないはずがない。