ヨガの学びとヨガ哲学用語

 

例えば、“チッタシュッディ”という言葉

日本語にすれば“内側の浄化”。

チッタシュッディと聞けば、多くの人にとっては、意味がわからない言葉だろう。

 

“内側の浄化”とは、なんとなくはわかるものの

じゃあ、“内側”って一体どこのことだろう…

ここでいう“浄化”とは、いったい何のことを指しているのだろう…

 

“内側“も“浄化“も、日本語だから単語は知っているけれど、
「ヨガにおける内側の浄化とは何か」と質問されて、
即答かつ正しいことを答えられる人は殆どいないだろう。

 

日本語だからわかったような気でいるものの、
結局、その意味はよくわかってない、という点において、
ヨガの用語をただ日本語に訳しただけの学びでは、不十分なのだ。

意味をつかめていないまま熟語や単語へと置き換えるだけで

わかった気になってしまうのなら、

却ってそれは自分から遠のいていく。

 

学生時代、英語の勉強が好きだった。

好きだったのと、会得できたかは、さておき、

「英英辞典」を使うようになったとき、面白かったのだ。

新しく出会う英単語を調べるとき

「英和辞典」の固い日本語の説明を読んでも意味がわからないのに

「英英辞典」では簡単な英単語でそれが説明されていて、

意味が手にとるようにわかるのだ。

 

最初のヴィジョンオブヨガで、ヨガダルシャナの講義中、

生徒の正解に対して、円先生が返した

「本当にそれを理解できているなら、

その表現をあと他の3つの違う表現で言い換えてみて」

という言葉が、印象的だった。

 

その単語を「知っている」ということが、

「聞いたことはあって記憶している」という程度なのか、

「その意味を深く理解している」なのかは、

全く違う次元なのに、

私たちはそこに対する気づきが薄いのだと気づかされた瞬間だった。

 

そして、今、ぶち当たっているのは、

ヨガにおいて、「その意味を理解している」だけでも

やはり、不十分なのだ、ということ。

「それが日常的に実践できていて、自分の一部となっているか」

そこが問われている。

 

“チッタシュッディ”については、またいつか。

 

 

 

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