2月の新月の瞑想講座
今日もまた必要なお話が降りてきた。
とても大切なのに
見逃してしまっていることを
今伝えて頂いている、
そんな感覚で新月の瞑想講座を聴いていた。
マスター・スダカーが伝えてくれている全てを
パーフェクトに理解できているかと言われたら
そうではない。
でも、今日聴いたことは
今の私に必要なことだったことは、わかる。
これが、無料講座だったのか
有料講座だったのか
全く見分けがつかない。
今日のお話を聴けた人は
ラッキーだなと思う。
例えば、今日が素晴らしい瞑想講座の時間だったと聞いて
「無料講座がつくと知っていたなら申し込んだのに!」とか
「瞑想の価値がそれほどまでにすごいなら続けていたのに」とか
悔しいという気持ち、または
なんでもっとしつこく教えてくれなかったの?!
という憤りの気持ち
迷ってやめてしまった自分は馬鹿だったという自責の気持ち
そんなものにかられていないだろうか?
そんなふうに生まれてくる
自分の内側で沸き起こる感情や思考こそが
人生を足踏みさせている障害なのだ。
ならば、その障害を、気づきを持って取り除いていこう。
3月の瞑想講座まで、そんな感情や思考に気づきをもとう、
と言う課題が出された。
そして沸き起こる感情や思考を
自分の飼っている犬にたとえ、
自分とその犬とは、どんな関係にあるのか
それが今日の最大のテーマだった。
自分自身は、
犬が好きな”単なる犬好き”なのか?
それとも
“犬の飼い主”なのか?
それとも
“犬を調教するトレーナー”なのか?
はたまた
犬のリードを持って”犬に翻弄されてしまう人”なのか?
他のどれでもなく”犬のトレーナー”になっていきなさい。
犬を好きなだけでも、飼っているだけでもなく
自分がしてほしいと思う方向へ犬を導けるようになろう。
その犬とは自分のマインドである。
マインドと一体化し
最高に祝福された人生を手に入れよう。
その最初の一歩としての
「知っていたなら、やったのに」
と言う感情や思考を手放すこと。
そして、それを続けること。
一回できたら終わりにすることなく
間違えたら訂正する、を繰り返しし続けること。
それこそが犬を調教する、と言うことに他ならない。
瞑想は目を閉じて座るだけでは、ないのだと言うことも
今日はっきりと教わった!
何をどうするかだけ、を私たちは追い求めがち。
例えば、朝チャレンジもそうだろう。
動き方が分からない!と
動けるようになるための情報を必死に取り寄せ
動けることだけを一心に練習に取り組む。
でも、そこには、大切なことが欠けている。
なぜそれが必要なのか、と言う
明確な理由や目的が必要なのだ。
もちろん、ただやることが悪いことじゃない。
でも、
なぜするのかがわかってするのなら
同じ行為でも効果が倍増するのだ。
瞑想も同じく。
そこに明確さ、ニャーナが伴っているのなら
その瞑想が人生へ与える影響は大きくなる。
限られた時間を少しでも
有効活用できるようになるために、
“ただ闇雲にする”から
“なぜするのか、の目的を知ってする”へと
変わっていこう。
いっときだけ頑張る、から
それを継続してできる人になろう。
そんな変化のプロセスを始めていきたい。
私の人生が、
そして私の周囲の人の人生が、
また、まだ出会ってないけれども存在する
全ての人の人生が
より祝福されたものでありますように
そんな願いを込めて
今日ももう一度、1人で座る時間をこれから持とう。
すぐに諦めることなく
瞑想も継続していこう。
知っていたらやったのに、なんて言えないほどに
私たちは、マスター・スダカーから
繰り返し、瞑想の大切さを聞いてきたのだから。
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