忍耐とは憎しみにもまさる罪である?! ——中秋の名月の瞑想 with マスター・スダカー
とても興味深いテーマでの瞑想講座。
自分の生き方、あり方を
振り返る時間を持った方も
多いと聞いています。
ヨガのスートラでは、
「忍耐」とは
もっとも罪深い行為なのだ、と。
一瞬、違和感を感じませんか?
「我慢が足りなかった」とか
「忍耐に欠けていた」と表現するように、
「忍耐」とは、
成功や達成に必要な要素だと
考える場面も多いように思います。
では、このスートラは
何を意味しているのでしょうか。
もう少し考えてみましょう。
諦めずに努力することや、
あともう少し、と頑張ること。
それ自体は
何の問題もありません。
でも、そのとき、
なんとか自分の気持ちを押し殺して、
苦しいけれど我慢して、
耐えて、耐えて、耐えて……
としているのなら、
いずれ爆発してしまう
不健全な状態なのだ、と。
「こんなに頑張ったのに」
「なんで私ばっかり」
となっているのなら、
すでに怒りで満ち、
一触即発のような状態です。
たとえば、家族や仲間が
そんな状態にあるなら、
その周囲もピリピリして
気を遣うでしょう。
そうではなく、
そこに理解はあるのか。
そこに喜びはあるのか。
そこに愛はあるのか。
楽しんでいたり、
笑顔があったりするならば、
それは豊かな経験となります。
子育て。
自分の生き方。
今、自分はどんな状態にあるのか。
知らず知らずのうちに、
周囲に何を撒き散らしているのか。
自分自身を振り返る時間となり、
そして、周囲の人を理解する上でも
大きなヒントをもらった
瞑想講座となりました。
